Humor studies 総説①

John A. Banas, Norah Dunbar, Daniela Rodriguez and Shr-Jie Liu. “A review of humor in educational settings: four decades of research” Communication Education 60, 1; 2011, 115-144

Google scholarで検索した結果、引用がとても多かったので最初に読んでみることにしました。John A.Banas先生はオクラホマ大学の准教授、Norah Dunbar先生はUCSBの教授です。

本当はこれ(↓)見たかったけれど我慢!

なぜだ。なぜ今なんだ!!

https://www.ou.edu/cas/comm/about/people/faculty/john-banas (John. A Banas先生)

https://www.comm.ucsb.edu/people/norah-dunbar (Norah Dunbar先生)

<目的>40年間の学説を振り返って、講義室でのユーモア研究の結果の相違点を明らかにし、今後の展望を示す。

賛成派:Berk, 1996; Berk & Nada, 1998;Brown, 1995; Cornett, 1986; Davies & Apter, 1980; Johnson, 1990; Kher, Molstad, &Donahue, 1999; Ziegler, Boardman, & Thomas, 1985; Aylor & Opplinger, 2003; Bryant, Comisky, & Zillmann, 1979; Bryant & Zillmann, 1989; Conkell, Imwold, & Ratliffe,1999; Davies & Apter, 1980; Frymier, Wanzer, & Wojtaszczyk, 1999; Frymier & Weser,2001; Gorham & Christophel, 1990; Kaplan & Pascoe, 1977; Wanzer & Frymier, 1999

負の効果:Gorham & Christophel, 1990; Harris, 1989; Stuart & Rosenfeld, 1994; Torok, McMorris, & Lin, 2004

方法論や概念の違いで一定の見解がない:Martin, Puhlik-Doris, Larsen, Gray, & Weir, 2003; Teslow, 1995; Ziv, 1988

(こう見ると確かに賛成派の文献が多いのかも。出版バイアス?)

  • 教室でのユーモアにおける現存の研究のまとめを提供
  • 研究結果の矛盾を同定し説明
  • 将来の研究の方向性を提供

Foundations of Humorous Communication(ユーモラスなコミュニケーションの基礎)

定義・機能・学説の3つについてまずは理解することが必要。

Definition of Humor(ユーモアの定義)

定義からしてむずかしい。”nonserious social incongruity”(不真面目な社会的不調和)とする学者もいれば、笑いや楽しさを生み出す言語的、非言語的な意図的なふるまいと定義する学者もいる。意図的かどうかを定義に含めるかという議論もいまだにある。ユーモアのあるコミュニケーションは娯楽以上の異なった機能があるといわれ、次項で説明しよう。

Function of Humor(ユーモアの機能)

均一的なものではない。ユーモアの1つ目の機能として、笑いを誘発する以上に社会的な影響があり、特に教育コミュニケーションに関連するのではと言われている。学者たちはユーモアを社会的影響の間接的な型としてしばしば概念化してきた。ユーモアが親和性を探索するふるまいだったり、人はより影響的であろうとすることを好む。広告業界ではこのことが間接的に証明されている。25-30%の広告がユーモアを用いて購買者に影響を及ぼしている。良い面としては、楽しめる環境によってグループの絆を強くしたり、批判的な意見もやわらげたりすることができる。逆にユーモアが分裂的に他人を見下したりすることに用いられたりもする。

誰かをからかったりすることは何らかの社会的な結果に関わっていることが示されている。からかいはユーモアのあるコミュニケーションで一般的なものだが、すべてのユーモアに含まれているわけではない。しかし、教室でのからかいは効果的ではない。1つには不適切なものとして扱われ、生徒が対象となり攻撃的になってしまう。生徒と先生には力の差があり、相互的なからかいが生じにくい。

2つ目のユーモアの機能は、対処機構(Coping mechanism)である。一般的なユーモアのあるコミュニケーションをする傾向のある学生は、ストレス環境をうまく処理できる。

まとめると、ユーモアは娯楽をもたらす以上の機能があると考えられる。人々の絆を強くすることを促進したり、逆にけなしたり、からかったりすることになり、社会的に孤独にさせてしまうかもしれない。加えて、ユーモアは個々のストレスを軽減するのに役立つ。これらの理論背景を次は見ていく。

Theories of Humor(ユーモアの理論)

昔から研究されてきたが、incongruity理論、Superiority理論、Arousal理論が有名である。incongruity理論は驚きや矛盾が必須で、その矛盾を解決できるからユーモアのあるコミュニケーションができる。認知論が主であり、社会的や感情的な側面ではない。Superiority理論はプラトやアリストテレスの時代にさかのぼり、誰かをからかって笑いが生まれるというのはこれに含まれる。多くのユーモアに攻撃性が見て取れるという学者もいれば、遊びのある競争として見て取れるという学者もいる。Arousal理論は感情と認知の複雑な相互作用としてユーモアを概念化している。最適な心理学的な刺激と認知的な評価(値踏み)の組み合わせであるとした。他のArousal理論のバージョンでは、積み上げられた緊張やストレスを開放するとしたものもある。ユーモアの機能を扱う場合には、Arousal理論の緊張-緩和の要素に基づいている。

Theories of Instructional Humor(教育的なユーモアの理論)

3つの理論はユーモアの大事な要素ではあるが、教育的なユーモアと学びとの関連を説明できるものではない。教育的なユーモアが学びをどのように促進するかを説明するためのInstructional humor processing theory(IHPT)を発展させた。この理論は、説得のElaboration likelihood modelとIncongruity理論から引き出された統合的な理論である(Wanzerら)。IHPTによると、ユーモアが学習を促すのに、学生はユーモアのある教育的メッセージの中にある不調和を感じ、解決する必要がある。さらに、ユーモアを認識するために注意力が増す。

Quantitative and Qualitative Differences in Instructional Humor(教育的なユーモアにおける量的と質的な違い)

Instructional Humor Frequency(教育的なユーモアの頻度)

どのくらいのユーモアが教室で使われているかは過去の研究者たちも注目していた。どのようにユーモアの頻度を評価したらよいかは難しく、自己報告よりも観察的な手法がとられてきていた。教育的なユーモアの頻度はばらついていることが20年の研究から明らかである。大学の講義では、教育的ユーモアは珍しいことではなく、70のランダムに選択された講義の中で、3.34回/50分の1講義であった(およそ15分に1回)。50%の教授が1-3回、30%の教授は4回以上、そのうち20%は講義中に1度もユーモアを使用していなかった。賞を受賞した教授は1講義当たり平均で7.44回使用していたが、講義が進むにつれて使用頻度は低下していった。また別の研究では、経験豊富な教授は6.50回/講義、経験の浅い大学院生は1.60回/講義であった。

自己申告制での測定ではユーモアの頻度はかなり低く見積もられていた。ある大学の教師のユーモアは1.37回/講義しかなかった。388人の高校の教師を対象にした研究では2.08回/講義であった。大学に比べて、高校や中学ではユーモアの回数は低い傾向にあった。

測定方法によってかなりばらつきが大きく、昨今では教育学的なユーモアは頻度よりもその質に重きがシフトしてきている。

Types of Humor Used in the Classroom(教室で使われるユーモアのタイプ)

ユーモアの分類は、単純にPositiveな影響(Affiliative)を及ぼすものとNegative(tenditiousまたはaggressive)なものとに分けるやり方がある。しかし、医師-患者のインタビューから、皮肉や緊張をほぐすユーモアもあり、一概にPositiveとNegativeには分けられないというカテゴリがあるとする者もいる(Roter(2002))。

Hayらは、友人関係におけるユーモアは、結束に基づくもの(お互い共通の経験、話題により境界を維持する)、心理学的ニーズに役立つもの(自分の保護、会話で生じた問題をうまく扱う)、力に基づくもの(グループの内外での力関係)とし、これらの3つの機能は教室でも理にかなっていると主張した。

Wanzerらは、帰納的な方法で教室でのユーモア712個を26のサブタイプを持つ4つに大別した(講義に関連するユーモア、講義に関連のないユーモア、自虐的なユーモア、計画していなかったユーモアの4つ)。Frymierらはこれらを5つに大別した(他人をへつらう、関連あり、関連なし、攻撃的、自虐的)。授業のコンセプトを関連のあるユーモアで示せることが最も適切なユーモアとしている。

Table.1 そのまま転記 22種類を取り上げている。

機能によってではなく、一般的な型に基づいて分類を作った研究者たちもいる。ジョークや逸話(設定やおち)、自発的会話のユーモア(社会的な相互作用の中での意図的な言語・非言語のユーモアの試み)、非意図的なユーモア(身体的、言語的な事故で笑いがおこり、うける)の3つがあるとした。Bryantらは、教育的なユーモアを6つのカテゴリに分類した(ジョーク、なぞなぞ、ダジャレ、面白い小話、ユーモアのあるコメント、その他:面白い音や見た目)。GorhamとChristophelは13のタイプにわけ、なおかつ、ユーモアのターゲットも同定した(自分自身、教室の一人の学生、クラス、人気のある文化など)。

型と機能を混ぜて分類した研究者もいる。Wanzerらは、9つのタイプに分類した(Low:ばかげた行為、非言語ユーモア:ジェスチャーや面白い顔、ものまね、言語遊び:ジョーク、スラング、蔑み、負の感情を緩和、一般的なユーモア:冗談、ジョーク、軽い気持ちにする話題、笑い、面白い小道具、面白いと知られている人を探す)

Individual Differences in Instructional Humor(教育的なユーモアの個々の違い)

Sex(性別)

男性は、より多くユーモアを講義で用い、女性は逆に避ける傾向にある。Bryantらは、男性の教授はよりジョークや面白い話をする一方、女性は自然発生的なユーモアを用いていた。女性は講義に関連するユーモアを用いることが男性に比べて多かった。また男性は自虐的なユーモアを用いることが女性よりも多かった。

Instructor Experience and Acclaim(教育者の経験と賞賛)

経験豊富な先生は、経験の浅い先生に比べて、より多くのユーモアを講義で用いる。経験の多少もあるが、経験の浅い先生には、ユーモアを用いる自由が少ない問うこともある。また経験豊富な先生のユーモアは、浅い先生のに比べてより講義に関連付けれていた。

第二に、教師の性質で賞の受賞をしているかが関連しているかについては、研究によってばらついている。Javidiらは、受賞する先生は、受賞していない先生に比べて、より多くのユーモアを使っていることを示したが、Downsらは、その逆であった。しかし、受賞した教師は多すぎないように気を付けており、受賞者のユーモアは、非受賞者にに比べて、より講義に関連し、中身を明らかにする目的で用いられていた。

どのようにユーモアを用いるかを考えたときに、研究者はユーモア志向(Humor orientation)のある人たちがいることを見出した。高いユーモア志向を持った人は、様々な状況でユーモアのあるメッセージを発信し、自らを面白いものとして知覚できる。ユーモア志向は、ユーモアのあるメッセージを作る能力はあるが、適切さに関しては言及していない。Wanzerらは、ユーモア志向のある先生はない先生に比べて、より多くのユーモアを、より多くのバリエーションで用いていた(その中には不適切と言われるものも含む)。ユーモア志向のある教師は、心理的な距離を狭めたり、授業後に生徒と先生の関係性が良かったり、個人的な問題を相談したり、近接性をもたらすと報告している。

Immediacy(直接性)

Immediacyは、温かみや近接性を伝えるメッセージを指し、その目的はよりポジティブな相互作用を創造することである。RubinやMartinは言語的、非言語的にコミュニケーションに対してオープンであるということを示せる能力と記述した。

教育的なコミュニケーションの学者はNonverbal Immediacy Measureが一つの要素であるにもかかわらず(Kearney, Richmond, Gorham and McCroskey’s)、本来は多次元で、他のたくさんのコミュニケーションの概念と関連があると批判を受けてきた。Wanzerらは、ユーモア志向と非言語的Immediacyは強い正の相関がある。ユーモアのある行動(笑顔、声のバラエティ、ジェスチャー、顔の表情)はまたImmediacyの振る舞いである。

ユーモアとImmediacyの関連は複雑であり、出し手からも受け手側からも定義は簡単ではない。直接性とユーモアの関係は双方向性であり、ユーモアは直接性を高めるだけでなく、どのようにユーモアが認識されるかにも影響がある(ユーモア志向の先生が、直接性のある振る舞いで、攻撃性のあるユーモアを使うと生徒にとって適切なユーモアと受け取られる)。低いImmediacyの教師が、ユーモアを教える内容に焦点を絞って、使うと最も創造的であった。逆に、教育の道具としてでなく関係のない個人的な話は、効果的な教育というよりむしろ、破壊的になってしまう。先ほどとは逆に、直接性の高い教師が、攻撃性のあるユーモアによってより罪深くなってしまうときもある。ここに文化が加わるとより事態は複雑になる。

Culture(文化)

ユーモアに関する研究がほとんど米国で行われており、西欧諸国以外からの報告が少ない。Zhangらの報告では、教師のユーモア志向は生徒のコミュニケーションの懸念を低めるどころか、増大させたとある。集散主義的な文化では、ユーモアは集団からの外れている個人を特定したり、強調することになり、学生はストレスに感じるかもしれないとしている。教師-学生の関係性の階層的な考えからユーモアは不適切とみなされるかもしれない。

Effects of Instructional Humor(教育的なユーモアの効果)

Instructor Evaluation(教育者の評価)

ユーモアが一般的に、人々の親和性を創造するのに用いられると考えられているように、教師の評価もユーモアの使用によって、ポジティブな関連性があるとされている。適切なユーモアが使われると、教師の評価はポジティブなものとなる。学生は教師のユーモアに期待しておらず、それを裏切る形でより教師の評価が上がるとしている。

不適切で攻撃的なユーモアは、学生の教師に対する認識に害となる。Torokらは、攻撃的で蔑むようなユーモアは教師の評価を低めたとある。

Classroom Environment(教室の環境)

Mottet, Frymier and BebeeのEmotional response theoryとIHPT:Instructional humor processing theoryによると、適切なユーモアはポジティブな効果があり、より喜ばしい教育環境にうつることは予想される。適切な教育的ユーモアは、楽しい学習環境に正の相関がある(Bergin, Downs, Gilliland, Mauritsen・・・)。ポジティブな効果は、ユーモアが学生の緊張や不安を緩和することで教室環境が改善される。特に学生が不安を感じるようなトピックの際には有用とされている(Teslow)。教師が自ら自然に失敗し、それを笑うことによって受け入れられることで、学生の不安は解消する。

繰り返しになるが、ユーモアの適切性は大切である。攻撃性のあるユーモアは居心地の悪い学習環境を作り出し、学生は特に攻撃性のあるユーモアを敏感に感じ取り、モチベーションを下げ、より防御的になる。

Credibility(信頼性)

ユーモアは、定義上、いくらか不真面目であるため、教育的なユーモアが教師の信頼への影響は心配である。適切なユーモアは結びつきを強くし、授業を楽しくするが、教師の信頼を失うものではないか?

アリストテレスの概念に一致して、TevenとMcCroskeyは3つの要素の組み合わせとして信頼を同定した:専門知識(主張を正しく作る能力)、真実性(誠実に情報を伝える能力)、善意(情報源が受け手の最も興味のあるものか)。一般的に、教師の信頼性は適切な教育のユーモアの使用についてはポジティブな関連があった(Frymeir&Thompson)。ユーモア志向の高い教師は、低い教師に比べてより能力があると認識された。楽しさを誘発することと教師の能力や性格は正の相関があった。CD-ROMのテキストでユーモアを用いるという実験でも、教師の信頼性は、特に社会性、外向性、創作性と性格では、向上した。しかし、教師の能力については向上させなかった。同様に、つながりや好感度は向上させるも、専門知識に対する効果は見いだせなかった。教師が”ピエロ化”するのを防ぐためにユーモアと指導のバランスを維持しなくてはいけない。多すぎるユーモアは教師の信用を下げてしまう。数だけでなく、攻撃性や蔑みのユーモアは教師の信頼を落としてしまう

Learning(学習)

教師の評価、教室の環境改善、教師の信頼とたくさんの効果的なことがあるが、一番は学びを高めることだ(Wanzer)。Robinsonは笑いとともに学んだことはよりよく学んだ事だとした。しかし、ユーモアの教育効果は、今までのエビデンスではかなり混乱している(ユーモアが学習を高めるという研究者や結果がある一方、関連がないとする実験結果も多くある)。理論的に学習に関連する要素と同様に研究の知見がどっちつかずであることを説明可能にする方法論的な違いにも触れながら、今までの研究をレビューしていく。

ユーモアには引き付ける力、注意力を維持する力があるということは、実証的な裏付けが相当数ある。特に小児(小学1年生や2年生)に教育的なテレビ番組で、特にテンポの速いユーモアは、子供たちの興味を引き、維持するのに強力なツールであった。

興味を引くのに役に立つユーモアであるが、情報を習得したり、保持したりするのにはポジティブな効果は得られていない。ユーモアのあるイラストは情報の習得に役に立たなかっただけでなく、子供たち(幼稚園生から小学校4年生まで)が教材を理解するのを妨げてしまった。ユーモアによる歪みに混乱していたとしている。教師がその歪みを修正するために説明をしたときでさえ、記憶の保持の試験では、正しい答えを思い出せず、ユーモアを思い出してしまった。HouserらはCD-ROMの教材でユーモアと非言語直接性、ユーモアと信頼性、ユーモアとモチベーションについては正の相関があるものの、情報を思い出すことに関しては効果がなかった。

上記は、否定的な実験結果であるが、反対の結果もある。ユーモアは、学びを増やすには、学ぶ内容に関連のあるユーモアである必要がある。大学生を対象に関連のあるユーモアがある講義とユーモアのない講義のどちらかを受けてもらった。講義から6週間後までユーモアは学習の向上に寄与していた(Kaplan and Pascoe 1977)。

ユーモアのあるやり取りが情報の習得や記憶に対する効果が研究によって異なっているため、単一の結論を導き出すのは困難である。ある学者は方法論的な失敗によってユーモアの学びに対するポジティブな影響を検出しそこなっているのではと主張する。

第一にZivはその期間の短さについて指摘した。18の研究のうち、たった4つの研究が1時間かそれ以上で、他の研究は約10分であった。短期間での研究では生態学的妥当性は担保できず、なぜなら、講義は長く続くもので、セメスターを通してなされるからである。10分では学びと楽しさを関連付け、学生に意欲を持たせ、一生懸命に勉強するには足りず、学習内容に関して入念に作り上げ、情報を長期記憶にするには十分とはいえない。

第二に学習の研究ではどのようにユーモアが使われたかを制御できていなかったとの批判もある。記憶保持にはユーモアと一口で言っても、たくさんの異なる要素が関連している:ユーモアの種類(漫画vs面白エピソード)、タイミング(必須のポイントvs全体的でランダム)、関連性(学ぶトピックに関連ある?)。特に関連のないユーモアは、学習効果はなく、学習内容そのものよりも、ユーモアを記憶してしまうからである。ユーモアの誘導に受け手側が面白いと感じたかについての言及はどの研究もなされていなかった。

第三に、以前の研究は、本質的に異なる実験方法だったため、結果に違いが出てしまったかもしれない。教師のユーモア、漫画によるもの、音声によるもの、またその他のものといった具合だ。ユーモアが異なった手段であるため、ユーモアの学習効果について結論を出すことが難しくなってしまっているのである。

以前の研究の批判に加えて、WanzerとFrymierは314人の大学生を対象に、教師のユーモア志向がどのように学生の学習の視点と関連しているかを研究(self-report study)した。教師のユーモア志向は優位に効果的な学習や学習行動の認識と正の相関があった。

Ziv(1988)らは、自然主義的な方法でエビデンスを示した。統計学の講義を1セメスター、同じ講師であるが、ユーモアを用いた講義と、用いない講義を学生に実施した。ユーモアは講義と関連があり、1つの講義に3-4つ程度とされ、試験に関しても概念をユーモアを交えて構成した。最終試験で10%以上の差が優位についた。他の教授、他の科目、異なった学生でも同様の結果を示した。

Humor in educational testing(教育的な試験におけるユーモア)

数々の学者が、講義だけでなく、試験の際にも、どのようにユーモアが成績に関連あるかを調べた。

McMorrisらは11個の研究を調べて、テストの点数に関するユーモアの効果を調べたが、結果は思わしくなかった。全体的な効果は芳しくないが、推奨する学者の仮説は、過度に不安に感じている学生には試験の成績に効果的で、大して不安に思っていない学生については効果的ではないというものである。こちらも残念ながら、期待された結果になったのはMcMorrisらの報告のみである。

逆にいくつかの研究では、反対の方向であった。不安のある学生はユーモアのない試験で、不安のない学生がユーモアのある試験の成績より、成績が良かった。ユーモアの成績に関する効果に対するエビデンスは、いまだ不十分で、首尾一貫していない。

ユーモアの学習に対する効果に関してはまだエビデンスが混在しており、いくつか学習を改善するという研究結果がある。問題はどのようにユーモアを効果的に使うかで、適切なタイプのユーモアを、適切なタイミングで、適切な状況で、モチベーションのある受容できる学生に使うことである。ユーモアの使い方は複雑で様々な要因に左右される。次章では教育者のためのユーモアを使う上でのアドバイスを提供する。

Advices for Education(教育者へのアドバイス)

ユーモアと教育の研究は複雑で、広範囲で、時折、衝突していることもあるけれど、教育的なユーモアを最大化する戦略がいくつかある。

第一に、ユーモアは教育的なコミュニケーションの絶対条件ではないということを認識することである。そのためユーモア志向の低い教師やユーモアの使用がはばかられる文化圏では、ユーモアを使用することが困難に感じたり、完全に受け入れられることはないと思われる。

第二に、適切なユーモアだけが、教師へのポジティブな認識と学習環境に関連しているということである。ユーモアを生徒を笑うのではなく生徒と笑うために使いたい。

第三に、教師はそのユーモアが聴衆にとって適切かを確認する必要がある。聴衆の年齢、ユーモアの文脈は考慮しなくてはいけない。教育の文脈、内容がすべての年齢の学習者にとって大切である。多すぎるユーモアは教師の信頼を失わせることになるかもしれない。

適切さに関連して、ユーモアは認識と感情の要素を併せ持つことを思い出してほしい。IHPTを適応するにあたって、学生が教師のユーモアを理解していなければ、それを彼らは処理することができない。教師にとってユーモアのある古いテレビや映画のシーンであっても学生にとっては楽しませるどころか混乱の原因になってしまうかもしれない。加えて政治的なユーモアも学生の興味のあることならばいざ知らず、教室では効果がないかもしれない。

第四に、ユーモアをただ単に明るい雰囲気にするだけでなく、学習効果の向上、知識の定着に結び付けたいならば、きちんとしたステップを踏む必要がありそうだ。教えるべきコンセプトをまず示し、笑いを加えた後に、さらに言い換えするといったことが求められる。この方法には2つの理論的な利点がある。一つはユーモアがコンセプトを思い出すのを高めてくれること、二つ目は、興味関心を高めてくれることである。

Conclusion(結論)

Research Summary(研究のまとめ)

はっきりしていることは、ポジティブで攻撃的ではないユーモアは教室の環境をリラックスさせ、興味を持たせ、教師の評価も上がり、学習動機も向上する。逆のユーモアはもちろん逆効果!ただし、教育の効果となると話は複雑、学習の補助や思い出すのに役立つというエビデンスは複数ある。相関研究では、教師のユーモア志向は、生徒の学習に対する行動や感情にポジティブに働く。文脈が一定に保たれるならば、ユーモアのある情報は、ユーモアのない情報よりたやすく思い出せる。さらに、自然主義的な研究では、ユーモアのある講義を受けた学生ががユーモアのない講義を受けた学生より成績が良かった。

Future Directions(将来の方向性)

教師の自己報告から始まったユーモアの研究であるが、より自然主義的、記述的、実験的な研究が必要であろう。教室でのユーモアがどのように使われているかを観察する研究があったが、すでに20年も前の話である。どのように教育現場でユーモアが使われているのかを調査する必要がある。Zivらのような自然主義的な研究が、ユーモアがどのように影響を与えているかを判別するのに同様の研究が必要である。

特に、将来の研究ではユーモアを教師に教えることができるかどうかを調査することも必要であろう。ユーモア志向の研究では、ある教師にとってはユーモアは自然であり、別の教師にとっては自然でない。他のコミュニケーション技術と合わせて、ユーモアによるコミュニケーション行動を訓練と練習によって改善出来うると思われる。

教育的なユーモアと文化の関連に関する研究がもう一つの領域であろう。フォーマルなスタイルを重んじる文化圏ではユーモアが不適切とされるかもしれない。ユーモアと教育に関する他の文化圏での規範的な期待も同様に研究されるべきである。

ユーモアにおけるテクノロジーの役割についての研究も研究者の興味を引き付けている。オンライン授業や相互的なオプションが増えるにつれて、ユーモアを講義に導入したりする機会が増えてきている。ユーモアとテクノロジーの相互作用がどのように教育のアウトカムに影響を与えているのかについても研究する必要がある。

最後に、教育的ユーモアに関する、更なる理論的な発展についても必要ではないか。WanzerらのIHPTはkの領域に多大な貢献をした。ユーモアがどのように創造的な思考に関与するかやユーモアのネガティブな効果に関する理論化についても研究が足りていない。

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